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アメリカ(Америка)は、19世紀後期にロシア帝国海軍が保有した汽走コルベットである。 == 概要 == 1856年、アメリカ・ニューヨークで建造され、ロシア海軍シベリア小艦隊に配属された〔原(1998年)、55頁。〕。 排水量554t。三檣の帆装と140馬力の蒸気機関を有し、推進装置は外車輪方式であった〔原(1998年)、55頁。〕。船体は全長50.3m・全幅8.6mであった。 アムール川や間宮海峡等の浅水域を行動することから、浅喫水に設計されていた〔原(1998年)、55-56頁。〕。 1857年、エフィム・プチャーチン海軍中将が座乗し日本・清国を訪問、対日・対清外交交渉に従事。10月に日露追加条約、1858年6月には天津条約の締結に至る〔この後、プチャーチンは1858年7月に再び来日し、8月に日露修好通商条約が締結されているが、この時はプチャーチンは途中の函館で別の艦に移乗して神奈川に来航している。本艦は赴任する駐日ロシア領事を乗艦させるためニコラエフスクに向かっており、来航していない。〕。 1859年には、東シベリア総督ニコライ・ムラヴィヨフが乗艦し、再び日本・清国を訪問。露清・露日国境の実情把握を行う〔この後、ムラヴィヨフは軍艦7隻を率いて日本の江戸湾に来航しているが、この時は本艦から別の艦に移乗しており、本艦は来航していない。〕。 これらの航海の過程で、後に沿海地方となる日本海沿岸地域の探索が行われ、ナホトカ湾等の港湾適地が発見されている(ナホトカ湾は、1960年代頃までは本艦の艦名に因みアメリカ湾と命名されていた)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ (汽走コルベット)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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